入試に産科医枠を設ける医学部、産婦人科医に奨学金を出す自治体も登場
2005年頃から、全国で閉鎖される産科施設が目立ち始め、交通機関を1時間以上乗り継いでも出産する場所がないという先進国にあるまじき事態が相次いで発生し、「お産難民」という言葉が誕生しました。
2006年と2008年には、奈良県と東京都で脳出血の妊婦を搬送している救急車が、複数の病院で受け入れを断られ、そのまま車内で死亡するという痛ましいニュースが大きく報道されました。いわゆる「たらい回し」問題です
産婦人科医の減少傾向は1990年代の前半から見られ始め、1996年から2006年の10年間では約1割も減りました。その一方で、女性の医師国家試験の合格者が増加するに比例して、産婦人科医全体に占める女性の割合は急増し、30代でおよそ半分、20代では7割を占めるに至っています。
しかし、お産は24時間体制を強いられる救急医療のため、女性医師が結婚して自らも出産すると、育児の関係で産科医の仕事をそのまま続けることは困難となります。多くは昼間だけの診療かつお産を扱わない婦人科に移るため、ますます産婦人科医は減っていったのです。
減少傾向に追い討ちをかけたのが、2006年に帝王切開を受けた女性を死亡させたとして、業務上過失致死の容疑で福島県立大野病院の産婦人科医を逮捕したことです。当初から専門家の間で逮捕に大きな疑問が投げかけられた同事件は、2008年に医師の無罪が確定しましたが、通常の診療行為で逮捕まであり得る産科医はリスクが高すぎると、若手医師の間で産科を敬遠する動きが加速しました。
このような事態を重く見た国は、リスクのあるお産の診療や緊急受け入れを行った医療機関に支払う医療費を大幅に増加したり、医療機関が産婦人科医に支払う手当に補助金を出したりするなどの対策を打ち出しました。
さらに医学部の入学試験の際に、産科医の特別枠を用意する大学や、産婦人科を選んだ若手医師に奨学金を出す自治体も出てきました。また、お産の診療と育児との両立が難しい女性医師を支援するため、フレキシブルな勤務形態を導入する医療機関も増えています。
これらの施策が吉と出たのか、2010年度に日本産婦人科学会に新規入会した産婦人科医はこの10年で最多を記録しました。ただし、お産を希望する全ての方に、産婦人科の診療を安定的に供給できるようになるためには、毎年500人以上の医師が産婦人科に進む必要があるといわれており、安心するのは時期尚早です。